昔の顕微鏡
エム・カテラ光学器械製作所のM.&KATERA Ⅳ台顕微鏡です。
SN.2122
1922年(大正11年)頃に製造されたものと思われます。
エムカテラ顕微鏡について:
「いわしや」は、1868(明治元)年から医科器械と薬品、洋酒などを販売していましたが、1883(明治16)年以来、松本儀兵の個人経営の元に医科器械の専業に移りました。1901(明治34)年に従業員22名の合資会社「いわしや松本器械店」が設立されました。主力は高圧蒸気消毒装置の製造と販売でした。輸入業では主に医科器械を扱い、ライヘルト顕微鏡の国内総代理店でした。1890(明治23)年に東京や京都の勧業博覧会に、手術器械や抜歯器械、蒸気吸入器、聴診器等を出展しました。海外では1911(明治44)年にドイツ ドレスデンの万国衛星博覧会、1912(明治45)年にアメリカ ワシントンの万国赤十字総会博覧会に城井式石油灯ふ卵器を出展しました。1903(明治36)年からサクラの商標を使い始めました。 1962(昭和37)年に社名をサクラ精機株式会社と改称し、2001年にサクラファインテックジャパン株式会社を設立して現在に至ります。エム・カテラ顕微鏡は、特に明治末期までは輸入に仰ぐほかなかった顕微鏡の国産化を目指して、ライツ社の顕微鏡を分解調査して試行錯誤を重ねながらも、1912(明治45)年に模倣に成功した顕微鏡です。 1914(大正3)年に国産初の量産型顕微鏡として発売されました。
顕微鏡
高さ約 25.5 cm~ 32 cm、幅 8.4 cm、奥行き10 cm
重さ 1.05 kg
接眼レンズ(画像11枚目を参照):
1:4倍
左上のイラスト
いわしや松本器械店は1895年からオーストリアのライヘルト顕微鏡の輸入販売を行いました。
対物レンズ
7:62倍
ライツ対物レンズとの比較(画像12枚目を参照):
標本:胎盤(人)H&E染色
観察倍率 248 倍
M.&KATERA顕微鏡と同年代のライツ顕微鏡の同じ倍率の対物レンズで標本像を比較しました。
顕微鏡と店舗の写真(画像14枚目を参照):
上の写真
1904(明治 37)年の陸軍衛生部へ納入する野戦用消毒車
下の写真
明治の初めから1923(大正 12)年の関東大震災までの店舗
関東大震災でエム・カテラ顕微鏡の在庫の全てが消失しました。
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